暴走書家

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『ココロの距離-4-』

 翌朝、目覚めると、まだ蛍は眠っていた。
 それでも普段は起きる時間なので、顔を洗って、服を着替えて、朝食を作る。
 出来上がった所で、蛍に声を掛けにいく。

「蛍、朝食作ったけど食べる?」
 その声に反応して、ぱちりと目を開ける。
 そして、一つ欠伸あくびをして、上半身を起こし、伸びをする。

「あ、おはよう。智也。え? 朝食、作ってくれたの? ありがたくいただきます。」
「お口に合うかどうかわからないけどね。」

 ベッド脇に畳んであった蛍の服を手渡すと、それに着替え始めた。
 蛍が着替え終わるのを待ってキッチンに一緒に向かう。

「わー、凄い。こんなしっかり朝食出てくるの久し振り。」
「自分では、いつも、どうしてるの?」
「ええ? まあ、一応、作るけどさ。いや、作るっていう程のものじゃないな。あれは。」
「よかったら、ベーコンエッグ、作るけど、食べる?」
「うん。ありがとう。」
「卵は、固め? 軟らかめ?」
「そんなところまで気を使ってくれるの? じゃあ、半熟で。」
「了解。」

 フライパンにベーコンを引き、生卵を割りいれる。
 そうして、調度良い具合で火を止めて、皿に盛り付けて出す。

「うーん。このベーコンの塩加減と、半熟の黄身のまろやかさがなんとも言えず良いなぁ。」
「そう言ってくれて嬉しいよ。」
「難しいでしょ、この火加減って。僕もやってみた事あるけど、見事に失敗したよ。」
「まあ、コツを掴めば大丈夫だよ。」
「一応自炊はするけど、本当に僕がやるとワンパターンだからなぁ。料理本見ればさ、大体は上手くいくけど、中々身につかないし。レパートリー増やしたいんだけどなぁ。」
「興味があるのとないのとでは全然違うよ。後はやっぱり慣れ。俺は、あんまり凝ったものとかは作らないけどね。」

 食事を終えて、後片付けに取り掛かる。
 蛍が手伝う、というので、俺が洗った食器を吹き上げていってもらった。
 それから、リビングへ移動する。

「智也はさあ、これだけの家に独りで暮らしてて寂しくないの?」
「もう長いからね。それに……寂しい、って感じられた時は、もう既に過去形になってたよ。」
「それでも、独りで、これだけ広い家に住む必要ってないんじゃない?っていうか、高いんじゃないの? これだけあると。」
「親が、残した家だからね。遺産も結構あったから、金銭的に不自由はしなかったよ。」
「ご両親、もう、亡くなってるの?」
「俺が、高校の時にね、事故で。」
「え? じゃあ、それからずっと独り暮らし?」
「ずっと……でもないけど、殆ど、独り暮らしだよ。」

「僕の家はまだ両親健在だからなぁ。あんまり想像出来ないや。」
「普通は、そうだよね。まだこの歳だったら。」
「普通……まあ、そうかな。うん、なんて言うか、本当に僕の家って普通なんだよなぁ。」
「それが何か不満なの?」
「いやさ、智也みたいな境遇の人にそう言ったら罰が当たるかもしれないけどさ、普通に育ったはずなのに、他人と価値観があんまり合わないんだよな。」
「合わない?」
「んー? ほら、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供を作って、みたいに言われるじゃん?」
「男同士なんだから、結婚も、子供も無理だろ。」
「僕、オンナの人とセックスしようと思ったら、別に違和感なく出来ると思うよ?」
「蛍ってバイなのか?」

「どっちとも、しようと思えば出来るっていう意味ではそうかもしれないけど、始めに言わなかったっけ? 誰にも恋愛感情持たないって。オトコとか、オンナとか、関係なく。オトコとオンナにとって恋愛と結婚が一緒じゃないのはわかってるよ。僕は、ある程度の距離感で付き合っていけるなら、オトコでもオンナでも良い。それこそ、普通の夫、普通の父親、そんなものを求められなければね。我侭なのかもしれない。でも、僕の価値観っていうのは変えられないし、変えるつもりもない。」

「恋愛感情を持てないって、でもそれで、違和感なく、オトコと寝れるの?」

「不思議となかったね。あー、こういう世界もあるんだなぁ、って。高校時代からかな。もうどっぷりコッチの世界に足突っ込んじゃってるの。僕にとって、割と居心地がいいから、抜け出す気もないしね。オトコを、抱くのも抱かれるのも好きだし、別にそうしなくって、普通に友達でいるのも。」

「恋愛が、全てだとは俺も思わないよ。そういった感情のメカニズムだって発見されてないし。俺も、愛し合う、って事の複雑さは何となくわかるし。蛍は、愛情を求められるのも負担だって言うけど、それを、上手く、表現できない人間だっているしね。愛情の重さなんて計れないけど、俺なりに、愛してると思っても、相手には足りなかったりするんだから。」

「智也が、恋人と上手くいかないのってそれが原因?」

「そうだね。相手の気持ちを思いやっているつもりなんだけど、それが、相手にとっては、俺が、距離を置いているように感じるらしい。」

「智也は、きっと優しいんだろうね。多分、痛みを知ってるから。距離感って、難しいよね。近すぎて駄目になる時もあるし、遠くて駄目になる時もあるし。」

「俺は、別に優しくなんかないよ。」

「ううん。優しいよ。やっぱり。少なくとも僕にはそう感じる。優しさは、時には残酷になることもあるけど、僕は、結構恵まれているね。その優しさに。」

「蛍の、周りにいる人達?」

「そう。優しさと、厳しさと、両方を兼ね備えてる人。そういう人に出会って、成長して、自分なりの生き方を、見つけてみようと思えるようになったし。」

「自分なりの、生き方、か。」

「世間の波に飲み込まれて、僕自身を見失いたくない。所謂いわゆる一般世間との感覚とは、僕はずれてるから。それでも、社会人として生きていくには、そんな世間を知っていないといけないんだよね。」

「多様化している世間を一元化するのは無理なんだけどね。」

「まあ、そうだけどさ。道徳でも法律でも、その他のものでも、出来るだけ、人間という生物が生きる為に必要な社会常識、みたいのがあるじゃん? 『普通』ってやつ? 本当は何が普通で、それは、どれだけ世間に認められていて、一般的なのか、全然わからないけど。」

「『普通』か。まあ、考えてみれば不思議な言葉だよね。」

「そういう風にさ、智也みたいに、そうやって認めてくれる人は良いけどさ、『これが普通だろ?』みたいに押し付けられると、やっぱりきついよ。」

「俺自身がゲイなのは、自分としてごく当たり前なんだけど、世間では、そうは認めてもらえるもんじゃないだろ?」

「そういうのに理解ある人って限られてるからね。でも、そういう目で見れば、僕も立派にゲイなんだろうけどね。」

「それを知っていて、オトコと付き合う。蛍は、それでいいのか?」

「うん。いいんだ。僕には、他の道を選ぶ事も出来たけど、そうしなかった。もちろん、一つの選択肢をとったら、別の選択肢を選ぶことは出来ない。それは、ちゃんとわかっててそうしたから。」

「蛍が、それを望むなら、俺にそれに対して口を挟む権利はない。蛍の人生だからな。」

「智也は、やっぱり、ちょっと、優しすぎるかな。それでいて、きっと、智也自身に対しては、とても厳しいんだろうな。僕は、智也のそういうところ、結構好きだけど。智也は、僕の、こういう話を聞いてどう思う? それでも、まだ、僕と付き合いたいって思う?」

「俺は、蛍の感覚を全て理解できている訳じゃないけど、それでも、ちゃんと、自分を見てる蛍には、惹かれてるよ。もしかしたら、駄目になるときが来るかもしれない。それでも、今は、蛍と付き合っていきたい。」

 世間の向かうベクトルにもしかしたら、俺たちは逆行しているのかもしれない。
 それでも、今、俺自身が望んでいる事、それに逆らうつもりはない。
 だから、もう少しこのままでいてもいいんじゃないだろうか。

 決して若いとも言えない。
 けれど、それ程年老いているとも言えない。
 いや、例え、年老いても、可能性があるのなら。
 それを試す価値はあるんじゃないだろうか。

「なんか、ゴメンね。真面目な話になっちゃって。」

「いや、俺は構わないよ。普段、人とこんな話しないからな。」

「まあ、そうだね。」

 それから、しばらくたわいもない会話をして、その時間もそれなりに有効だった。
 そして、また、週末にバーで会う約束をして、その日は別れた。

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『ココロの距離-3-』

 週末、仕事があけると、一旦家に帰り、軽く食事を摂って、再びあのバーへと向かった。
 再び訪れてみると、先日は気付かなかったが、それ程表立った広告は出していない。
 あの中の雰囲気から考えて、外見は、確かに、バーではあるが、建物の色合いも極シンプルだった。
 人を拒む、という感じはしないが、たむろするような店構えではない。
 この店の存在に、どれだけの人が気付くか、あの夜、俺が、気付く事が出来たのが不思議な感じだった。

 流石に週末だけあって、先日来た時より、客の入りは良かった。
 それぞれが、この空間に溶け込んでいるように落ち着いている。
 俺が、入ってきたのにマスターは気付くと『こんばんは。いらっしゃいませ』と低く質の良い声で話しかけられた。
 その挨拶に、俺も、『こんばんは』と答え返した。

「蛍さん、もういらっしゃってますよ。今、呼んできますね。」
 そう言ってマスターはカウンターから出て、4つだけ置いてある、テーブルに向かい、そこで、2人のオトコと会話をしている蛍に声をかけた。

「蛍さん、智也さん、いらっしゃってますよ。」

「え? あ、ありがとうマスター。じゃあ、ゴメンね、今日はここら辺で。」
 蛍は、その2人に手を振りながら別れを告げ、俺のいるカウンターの方へ向かってきた。

「こんばんは、智也。ごめん、気付かなくって。」
「いや、良かったのか? さっきの2人のオトコは。」
「え? ああ。いいの。だって、元々、智也と約束してたんだし、大した話してた訳じゃないから。」
「知り合い?」
「うん。この店の常連さんで。ねえ? マスター。」
「ええ。そうです。ところで、何になさいます? この間と同じでよろしいでしょうか? ああ、そういえば、先日、良いものが入りましてね。まだ、メニューには載せてないんですが、よろしかったら、お試しで飲まれてみますか?」

「前回と……まだ一度しか来た事がないのに、覚えていらっしゃるんですか?」
「ええ、一応、お顔と、お酒の事は大概。とはいっても、それ程客の入れ替わりが激しくないんで可能なんですが。お名前も……失礼、蛍さんと話されているのを聞いてしまって。」

「いえ、構いません。とても記憶力がいいんですね。」
「仕事に関しましては。その他では、それ程でもないんですが。」

「え、何々、マスター、お勧めあるの? 僕、それにする。」
「あ、じゃあ、俺もそれで。」
「かしこまりました。」

「今日は、仕事だったの?」
「うん。でも、早く片付いたから、早めに来たの。智也も?」
「ああ。」

「じゃあ、お仕事お疲れ様。」
 そう蛍が言って、運ばれてきたグラスを、音を立てない程度に重ね合わせた。

「蛍は、日曜日は休みなの?」
「うん。大概ね。買い込んだ本読んだり、図書館行ったり、たまに、日帰り温泉とか行ったり。智也は?」
「俺も、日曜は休みかな。本も読むけど、結構仕事持ち帰ったりしてるかな。日帰り温泉って、独りで?」
「うん。思い立った時に行くから、殆ど誰かと約束する事なんてないし。結構気楽で良いよ。」
「東京でも、そんな場所があるんだ。」
「車を飛ばせばね。でも、車だから、湯上りに一杯、っていう訳にもいかないんだけどね。」
「飲酒運転は厳しいからね。」
「そうそう。」

 こうして、会話していて、不快になる事はない。
 遠慮をあまりしない口振りだけど、深入りはして来ない。
 それは、蛍自身がそうなのか、わからないが。

 俺自身、そういうところがある。
 他人が聞いて、決して面白い話ではないから、それは程、自分の事を話さない。
 その話しを聞いて、相手がどう思うか、どうしても気にしてしまうから。
 結局、俺自身が相手から距離を置いてしまうから、どうしても、上手くいかなくなってしまうのか。
 
「蛍は言ったよね。恋愛には向かないって。どうしてそう思うの?」

「僕は、誰かに恋愛感情を持つことは決してない。誰かが、もし、僕を愛してくれたとしても、僕はそれを返すことは出来ない。勝手な話だけどね、一方的でもいいと、押し付けられたら、きっと、重荷に感じてしまうんだ。きっと。」

「過去に、辛い恋愛でもした?」

「そうじゃないよ。元々ないんだ。そういうのが。それなりの感情はあるよ。きっと、他人よりも薄いけど。それを、人として、欠陥だ、と言われても、気にはしていない。昔は、そういう自分が、おかしいんじゃないか、って思った事もあったけど、それを、認めてくれた人がいるから、今は、それでも、ちゃんと、一人の人間として生きていける。」

「まあ、確かに、人の感情とは不思議なものだけどね。恋愛感情も含めて。でも、仮に、恋愛感情があるからって、その二人の間が上手くいくとは限らないけどね。」

「智也は、上手くいかないの?」

「俺なりには、真剣に愛してるつもりなんだけどね。でも、駄目みたい。感情の行き違いっていうのかな。」

「ふーん。あ、でも、僕、それなりに気の合う人とセックスするのは好きだよ。あ、でも、セックスフレンドが欲しいのとはちょっと違うかな?」

「恋愛はしない、でもセックスはする。恋愛感情がなくったって、セックスが出来るのは否定しないよ。」

「僕は、基本的に僕なりに気に入った人間としか、セックスしないよ。だから、誰でもいい訳じゃないんだけどね。」

「君なりの『気に入る』の基準がよくわからないんだけど。」

「残念ながら、僕自身もわからないね。何かしらの感情が動いてはいると思うんだけど。」

「名前の付けられない感情、か。人間って、そういうものでも、何かしら名前をつけたがるんだけどね。」

「説明の出来ない存在は、許せない、って?」
「許せない、って言うか、探究心って言うか。まあ、理論理屈上説明出来ない事は沢山あるけどね。」
「説明出来るように納得したい、っていうのもわかるけど、そのまま放っておいた方が面白いような気もするんだけどね。」
「謎に満ちてる方が良い?」
「うん。まあさ、もし仮に、1つの謎が解明されても、新に謎は沸いてくるものなんだろうけどね。」

「俺は、謎の存在は認めるけど、どっちかっていうと、それを追求したい方かな。人間の存在自体謎だけどね。」

「ふむふむ。それで、僕に興味持った?」
「話してみて、余計にそう思ったよ。好奇心をくすぐられるね。」
「面白いな、智也って。僕も、そういうところ、気に入ったよ。」

 俺は、蛍の何を見ているのだろう。
 そして、蛍の何に惹かれているのだろう。
 俺自身、俺を突き動かす衝動を理解出来ずにいる。

「で、この後どうする? ホテル行く?」
「もしよければ、俺の家来る?」
「え? いいの? 普通、あんまり得体の知れない人間って、自分のテリトリーに入れたくないんじゃない?」
「そうだね。普段は、そんなことしないね。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」

 それから、電車で数駅揺られて、俺の家に着いた。

「え? 戸建て? 家族とかいるんじゃないの?」
「いや。独り暮らしだから。」
「あ、そうなんだ。」

 そうして、俺を抱きたい、と言った蛍を、俺は拒む気はなかった。

 しっとりと重なってくる唇が軽く、数回角度を変えて、触れてくる。
 歯列を割って入ってきた舌が、口腔内を舐って、舌を絡ませあう。
 少し、強く吸われた舌に妙な痺れた感覚が残った。

 離れた唇が、耳朶を甘噛みし、吐息を浴びせられる。
 首筋を這う舌先も、鎖骨に立てられた歯にも甘い疼きが走る。

 そして、乳首を弄られて、吸い上げられて、甘噛みされて。

「ん……あ……」

 ローションを手に滴らせ、指が挿入されてくる。
 解すように動く指は、俺が、感じられる場所を、きちんと刺激していく。
 その刺激に俺は、ペニスを更に硬く勃起させた。

 指が引き抜かれ、代わりに蛍のペニスがローションの滑りを借りて入り込んでくる。
「あ、はぁ…ぁ…」
 俺のカラダが慣れるのを待って、蛍は動き始めた。

「んん…あ…ああ…はぁ…」
 
 擦り上げられる内壁への刺激に感じて、ペニスの先端から先走りの液が流れていく。

 そして同時に、ペニスを扱かれたら、もうたまらなくて。

「あ…ああ!……も…イ……く…!」

 蛍も、裡で精を放ったようだった。

「明日、休みなんだろ? ゆっくりしていけばいいよ。」
「そう? 僕、そういえば、自宅以外で、寝る事って殆どないなぁ。」
「今までのお相手とはどうしてたの?」
「んんー? 何となくそういう感じになった人いないけど。どこで、セックスしても。」
「安眠できない?」
「そういう訳じゃないけど。」
「けど?」
「だって、僕にそういうの求める人いないから。」
「馴れ合いみたいで嫌?」
「さあ、どうだろうね。そういうのもわからないや。」

「まあ、何でもいいけどね。お風呂、まだ落としてないから入ってきて良いよ。後これ、これ位ラフな格好だったら、眠れるだろ?」
「ありがと。んじゃ、お先お風呂借りるね。」

 俺が蛍に求めているもの。
 蛍が俺に求めているもの。
 その間に、どれくらいの差があるのだろうか。
 そして、それが、俺達の関係に何をもたらすのか。
 闇に包まれた謎ばかりが、まだ目を覚まさずにいる。

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『ココロの距離-2-』

 行き慣れているバーに行くのも良いけれど、たまには、違った店で飲むのも良い。
 そう思って一軒のバーを訪ねる。
 割と小ぢんまりしているけれど、内装はしっかりしていて、結構金をかけているのだろう、穏やかな色合いの壁にバロック調の装飾品がところどころに見られた。

 目に見える所のカウンターや椅子は、店内の薄暗い光でも、質の良い木が光沢するようなものがあつらえてある。

 店内には、邪魔にならない程度に、パイプオルガンの音が流れている。
 入り口を見ただけでは全然わからなかったけれど、亜空間に飛び込んだような気分だった。

 店内に入ってから、一歩足を踏み出すのに戸惑ったが、バーのマスターが穏やかな笑みで迎えてくれたので、何とかカウンターに落ち着く事が出来た。
 ドリンクの値段も、そこら辺の普通のバーの値段とは変わらない。

 周りの客を見れば、確かにゲイバーなのには変わりないだろう。
 それぞれの店が、それぞれの店なりに、特徴を出そうとしてはいるだろうが、その中でも、この店は変わっているように見えた。

 始めは、戸惑ったけれど、その独特の空間に次第に慣れていった。
 アルコールの質も、決して悪くない。

 そうして、独りで飲んでいると、一人のオトコが、バーに入ってきた。

「こんばんは。マスター。」

「いらっしゃい。ケイくん。」

 『ケイ』そうマスターに名前を呼ばれた男。
 おそらく、この店の常連なんだろう。
 そのいでたちは、かなりの軽装だったが、年齢は、俺より若干、下、位だろうか?

 俺が、眺めているのに気付いたのか、そのオトコは、俺の方に近付いてきた。
「こんばんは。見かけない顔だけど、ここの店、初めてですか?」
「あ、ええ。そうです。」
「隣座ってもいいですか? それとも、お独りの方がいいですか?」
「どうぞ、構わないですよ。」
「ありがとうございます。じゃ、失礼して。」

 そうして、俺の隣の席にそのオトコは腰をかけた。
「あ、マスター、いつものお願いね。」
「はい。でも、忙しくないんですか? こんなによく店に来てもらって。」
「忙しいよ。でもだから、来たくなる時ってあるじゃない? それとも迷惑? 来られたら。」
「ケイくんさえ構わなければ、いいんですが。」
「その、『くん』付けさぁ、いつになったら止めてくれるの? いつまでも、僕がコドモみたいじゃん。」
「ああ、すいません。もう、ちゃんと社会人になって何年も経つのについ。」

 マスターは苦笑いして、そのオトコの前にアルコールの入ったグラスを置く。
 男は、今度は、俺の方に向かって話し掛けてくる。
「改めて、始めまして。どうです? この店、他のバーと比べて大分変わってるんじゃないですか?」
「そうですね。入った時は、ちょっと、吃驚びっくりしました。」
「普段は、どんなとこ行ってるんですか?」
そう聞かれて、2,3割とよく通う店の名前を答えた。

「ああ、そこだったら、僕も何度か行った事があります。もしかしたら、どこかでお会いしてるかもしれないですね。」

「ええ。広いようで狭い世界ですから。」
「確かに。それでいて、狭いようで広いですよね。」
「世間なんて、えてしてそんなものでしょう。」
「まあ、そうですね。誰が、どうやって、誰かと出会う、なんてわからない事ですからね。」
「どんな縁が転がってるかわからないですからね。」
「僕が、今日、貴方と出会ったのもそうですね。」
「偶然、というのはそういうものでしょう。」

 出会いの、偶然性、必然性、それは、どこで区切られるのだろう。
 その境界は、とても曖昧で、そして、偶然を必然に変える事も出来る。

「僕から言うのもなんですが、もうちょっとかしこまった口調、何とかしません? 僕の方も、許してくれるとありがたいのですが。」
「ああ、そうですね。」

「で、どう? この店? 僕は好きだからよく来るし、常連さんとかは、顔とか知ってるし、結構、客を選ぶって言うか、あ、まあ、それは、どこの店も、それなりにそうかもしれないけど。」
「悪くないと思うよ。この雰囲気は。」

「まあ、僕の店じゃないけどさ、オーナーとマスターが凝り性だから、色んなところに金掛けててさ、ねえ、マスター?」
 そうやって、マスターの方に話を振ると、マスターは、「半分、道楽みたいな感じでやってますから」と、そう答えた。

「道楽、っていっても、オーナーとマスターの人脈でしょ? 実際、何年もこうやって経営できてるんだから。」
「そういう意味では、恵まれてますよ。私は。」

「何年くらい、このお店、やってらっしゃるんですか?」

「なんとか、もうすぐ10年になりますね。私が、30の時に始めた店ですから。」
「マスターお独りで?」
「裏では色々支えてくださる方もいますが、実際は、店に出るのは私独りですね。」

「客商売は、大変そうですね。特に夜の世界は。」
「いえいえ。仕事をするのに、楽、なんてものはないでしょう。その人なりに、苦労されてる事ですよ。」

 好きで着いた職業でも、生活のため仕方なくついた職業でも、やはり、仕事をするという事は、それなりに責任を持つ事。
 その責任の重さを、本人が、どれくらい負担を感じているかわからないけれど。
 ストレス社会、といわれる中で、それぞれが、それなりに、ストレスを感じている。
 上手く発散できるか、そうでないかは、また人それぞれだ。

「そういえば、僕も、もう6年もこの店に来てるんだよな。開店、10周年記念とかはするの?」
「ささやかなりには一応。」

 バーに行くこと自体そうだけれど、このバーはこのバーで特有の非日常を含んでいる。
 日常に疲れ、安らぎを求める時、ここは、良い場所になるのではないかと思う。
 そう思う人間がいるからこそ、この店は、それなりの固定客が存在し、やっていけてるのではないか。

「貴方も、もし良かったら、またこの店に来て。」
「ああ、是非そうさせてもらう。君は、よく来るんだっけ?」
「うん。時間がある時はよく。家で独りで飲んでもつまらないから、家では基本飲まないし、でも、好きだから。」
「酒が? 店が?」
「両方。」

 この店の雰囲気を考えても、男漁りをするタイプの店ではない。
 それはわかる。
 でも、そういう店を好んでいる人間だからこそ、もう少し、よく知ってみたいとも思う。

 この出会いが、どう転ぶか。
 もし、このオトコをここで誘って、どう出てくるか。
 それはわからない。

 折角だから、この機会を、逃がしたくないとも思う。
 拒絶される事を恐れ、行動に出ないでいるのは、恐らく後悔する事になるから。
 そんな後悔の仕方はしたくない。

「君に……また会いたい、って言ったらどうする?」
「え……? えっと、それって、もしかしたら、僕、誘われてるのかな?」
「そのつもりだけど。」

 そのオトコは、少し考えるような仕草をした。

「僕は、別に、構わないけど、貴方の方が嫌になるんじゃないかな?」
「どうして?」
「うーん、過去の経験上から。僕、恋愛には不向きだよ。」
「恋愛……か。恋愛関係にしても、友情関係にしても、それはそれで、いろいろカタチがあるから、一概にはそうも言えないんじゃない?」
「まあ、貴方が、それでもいいって言うんなら。」
「君こそ不本意じゃないの、俺相手で。」
「よく知ってるわけじゃないけど、取りあえず、第一印象は悪くないし。」
「そう。無理矢理つき合わせるのは不本意だからね。」

「あ、ちなみに、僕の事は『ケイ』って呼んで。『蛍』って書いて、『ケイ』って読むんだ。本名じゃないんだけどね。ここら辺の、店とか、友達とかではその名前で通ってるし。」

「本名じゃない…? 偽名って訳でもなさそうだよね。変身願望、なのかな?」

「そうだね。ある意味、日常とはかけ離れた自分になりたいんだろうね。本名が嫌いなわけじゃないけど、『蛍』と本名と両方知ってる人間は殆どいないよ。」

「そういえば、私も蛍さんの本名って、知りませんね。」
 マスターがそう言った。

「俺は、藤崎智也ふじさきともや。『智也』で良いよ。あ、本名だから。」
「OK。智也。よろしく。あ、僕、明日早いから、そろそろ帰らないと。智也、今度いつ会う?」
「週末は忙しい?」
「土曜? 夜なら大丈夫だけど。」
「じゃあ、またこの店で。」
「了解。じゃあ、またね。」

 勘定を済ませ、店から出て行く。

 恋愛には向かない、そう言った彼だけど、何をもって、彼をそう言わせているんだろうか。
 そしてまた、恋愛向きな人間とはどういう人間なのか。

 俺自身もまた、何となく恋愛向きではない、という事はわかっている。
 そんな俺達が、どんな関係を築いていけるだろうか?
 まだ出会ったばかりだけど、もしお互いが、その先に何かを見つけることが出来るなら、それはそれで良いと思う。

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『ココロの距離-1-』

 微妙なずれが、二人の間を引き裂いていく。
 全く同じ感覚を持った人間などいないのだから、それをその人のもつ性質の一部として認め、付き合っていくしかない。
 無理して価値観を押し付けても、それは受け入れられるはずもないし、例え、受け入れた振りをしてくれたとしても、どこかで齟齬が出る。
 だから、相手に何も期待してはいけない、と言うのではない。
 それをわかった上で付き合っていくしかないのだ。

 どこまで相手を受け入れられるか?
 それも無理する事なく。

 やはり、人それぞれに相性というものがあり、どんなにココロを広く持ったとしても、現実としては難しい。

 仕事なら仕事で、割り切ってなるべく支障をきたさないよう、踏み込まずに接する事も出来る。

 けれど、個人的な付き合い、友人、恋人、となるとまた話は別だ。
 絶対的に踏み込めない他人の領域はあるものの、ある程度、ココロのバリアをはずして、付き合えなければ、長くは続かない。

 何人かの恋人と、そうやって付き合い、そして、別れを迎えてきた。
 基本的に、俺から怒る事はまずない。
 相手が、一方的に怒って、別れていくか、それとも、何となく二人の間が上手くいかなくなって別れていくか、どちらかだ。

 そして、つい先日、俺は、恋人と別れたばかりだ。
 どんな別れ方をしたとしても、それなりには落ち込む。
 別れられて清々した、なんて思った事はない。

 結果的に別れた事によって、ココロの咎がどこかでとれたとしても、俺なりに、真剣に付き合っていたつもりだった。
 それが、相手に対してどう取られていたか、それは俺に知る由もない。

 先日まで付き合っていた相手は、浮気をしていた。
 俺が、じゃない。
 相手が、だ。
 それが、いつから始まっていたのかはわからない。
 けれど、後半になってくると、それは、もうあからさまだった。
 浮気したがるオトコ。
 浮気をされるオトコ。
 浮気はオトコの甲斐性だとか、浮気される方にも問題があるとか、色々言われるけれど、結局のところ、本当はどうなのだろうか?

 それに対して、何も言わなかった俺に、怒ったのは、相手の方だった。
 それは、あいつなりの俺へのサインでもあった。
 しかし、どうしてそれを、正確に受け止められる?
 人間はエスパーなんかじゃない。
 気持ちを察しろなんて言う方が無理なのだ。

 浮気をしておきながら、それをとがめて欲しいなんて、そんな風に言われても、俺には出来なかった。
 それを、あいつは、俺が本当に好きじゃないから、そう言って片付けた。
 本当に好きなら、嫉妬して、怒って、咎めるべきだったのだろうか。
 もしそうしていれば、まだあいつと付き合っていただろうか。
 でも現に、俺のココロを疑い始めた時点で、もう、俺達の関係は終わっていたのだろう。
 本当に好きなら、それからも一緒にいたいのなら、もう二度と浮気なんかしないでくれと、懇願すればよかったのだろうか。
 それもまた、俺にとって無理な話だ。
 俺のプライドが、邪魔をするからじゃない。
 俺の性質上、そうなってしまうのだ。

 恋人として付き合いながらも、どこか、冷めている。
 決して好きじゃない訳じゃない。
 相手の事を尊重していない訳でもない。
 けれど、人によっては、そういう俺の性格は、不満の種に繋がるらしい。

 肉欲に従って、その場限りの関係を、楽しむ。
 確かに、そういった時もある。
 だが、それだけで満足できるか? と言われるとそうではない。

 もっと、昔の俺なら、そうしていたかもしれない。
 でも、一人のオトコに会って、俺は、少し生れ変わった。

 ふとした折に、そのオトコの事を思い出す。
 あいつは、今、幸せにやっているだろうか、と。

 あいつとの事は、大切な思い出だ。
 そう、思い出。
 それを、忘れようとは思わない。

 今の、俺がいるから。
 人間関係に、何もかもを諦めようとしていた時、俺はあいつと出会った。
 そうして付き合っていく中で、それぞれの想いに卒業を迎えた。
 卒業とは、新たなる旅立ち。

 お互い、幸せになれればいいね、と、別れを告げたあの日。
 その幸せのカタチはどこにあるだろう。
 そこに、ゴールがある訳じゃない。
 カタチないものを求めて、人は生きる。

 どんなに些細な事でもいい、人生に潤いを与えてくれる幸せを。
 待つだけでは、何も変わらない。
 けれど、稀に降って沸いてくる事もある。
 動くべきか、動かざるべきか。
 その時その時で判断は異なる。
 そして状況も。
 それが、合致するとは限らない。
 運命の神様がいるとしたら、とても気まぐれだ。

 傍から見れば、不幸とも言える俺の過去をどうこう思ってなどいない。
 他人に、哀れんでもらおうとも思わない。

 別れが辛ければ、誰とも付き合わなければいい。
 そんな選択肢を選んだ人がいたとしても、それを臆病だとはののしろうとも思わない。
 ただ俺は、その道を選ばなかっただけ。

 心理学を専攻し、精神分析の研究を続けながら、やはり、人のココロというのは本当に不思議だと思う。
 そして、不思議だからこそ尚、惹かれるのだと。

 残念ながら、ココロについて、色々考えながらも、それを実生活に応用する事は出来ない。
 それは、やはり、俺にもココロがあるから。
 ココロを持つも同士が、付き合っていく為に必要なもの。

 どんなに精神分析の専門書を読み漁ろうとも、それを、現実に当てはめていくには、色々経験していくしかない。
 そこでまた、新たなる事実に気付くだろう。

 フロイドを先駆者とし、心理学は発展してきたけれど、その謎は今尚、完全に解明されるに至ってない。

 駆け引き的な恋愛は、俺には向かないな、そう思う。
 それが一種の醍醐味だとしても。

 そんな事を思いながら、一人の週末の夜を、バーで過ごしていた。

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『偽装と真実の仮面-9-(完)』

 前日の土曜日、静香からお達しがあった。
「明日は、9時頃から忙しくなるから。それと、昼食はいいわ。作ってる余裕なんてないと思うし。ピザでも取りましょう。」

 何故、忙しいのか、全然わからずに了承させられる。

 この間、晴彦が言った言葉。
 あれは、別れの挨拶ではなかったはずだ。
 それなのに、一向に連絡がない。
 静香の口からも、晴彦の名前が出る事はなかった。
 まるで、何もなかったかのように。

 俺は、それが気が気でなかったのに。
 俺の口から聞く事も出来なかった。
 晴彦にメールを送ってみても、返って来ない。

 そして、日曜の朝、インターホンが鳴った。
「私が出るわ。」
 そう言って、静香が玄関に向かう。
 そうして、やって来たのは……。

「晴彦!?」

「久し振り。隆弘。」
「何で、お前が……。」
「何でって、今日はお引越しだから。」
「引越し?」
「うん。俺、今日から、ここの家に住むから。」
「は? なんで? いきなりそうなるの?」
「いきなりじゃないよ。ちゃんと、静香さんと話して、そう決めたんだから。ね、静香さん。」
「そうよ。いいじゃない。どうせ、部屋余ってるんだし。晴彦くんは、別に離婚しなくっても良いって言うし、隆弘だって、一緒にいられた方が嬉しいでしょ?」
「いや、だからって、俺に、一言も言わずに……。」
「言わない方が、面白いんじゃない。」

 何だ? 何で、こんな展開になってるんだ?
 俺にはさっぱりわからない。

 わからなくても、晴彦の荷物は運び込まれてくるし、その為に買ったという家具は運び込まれてくるしで、否応なく作業を手伝わされる。

「資料の本とか沢山あるんでしょ? 一応、本の為の部屋はあるけど、今の本棚じゃ、足りなさそうね。取り敢えず、床に積んでおいて。その内買い足すから。」
「あ、はい。でも、結構、本あるんですね。静香さん、俺の本読んでくれてるって聞いたけど。」
「残念ながらデヴュー作の『いつか晴天を信じて』は初版、買いそびれちゃったけど、後は、全部、初版で持ってるわよ。」
「何か、そういうのって恥ずかしいけど、俺、持ってるから、良かったら差し上げますよ。」
「本当!? ありがとう。」

「そう言えば、静香さんも何か書いてるんでしょ?」
「一応ね。始めは趣味で書いて、投稿してたんだけど、定期的に載せてくれるところがあって、今は、月刊誌に、少しだけど、短編、書かせてもらってるの。晴彦くんみたいに、それだけじゃ食べていけないし、本業は本業で好きだから、辞めるつもりもないし。」
「俺、静香が、短編書いてるなんて、初耳なんだけど。」
「だって、言った事なかったし。結婚前からよ、書いてるの。」
「どれ? 静香さんが書いてるの。」
「これ。『立川怜』ってPNの。」
「へー。何ていうか、ちょっと、男性っぽいですね。」
「褒め言葉として受け取っておくわ。私に、『女性らしさ』を求められても困るんだけど。」
「なんか、カッコイイ。静香さん。」
「私に惚れても無駄よ。」
 静香が笑って答える。
 何で、俺の知らないところで、この二人が仲良くなってるんだ?

「あ、隆弘、ちょっと不機嫌そう。大丈夫だよ。俺が愛してるのは、隆弘だけだから。」

「私たちは、子供を産めないけど、こうやって、擬似的になにかを作り出すことは出来るのよね。」
 それは、多分、静香の本音。
 子供をがいらない、好きでない、そう言っているけれど、その代わりに、産生できるもの。

「もうお昼だ。ちょっと休憩しようよ。お昼、どうするの?」
「今日は、取り敢えず、宅配ピザでいい?」
「うん。俺は構わないよ。」
「そういえば、晴彦くんは、いつもご飯どうしてるの? 自分で作ってるの?」
「俺、自炊苦手なんで……。」
「あら、じゃあ、普段は、私が作るわ。3人分に増えたって同じだもの。お昼も、私たちのお弁当と一緒でいいなら、作るけど?」
「助かります。」

 どんどん、俺の知らないところで話は進んでいく訳で。
 こういう展開ってありなの?
 俺にはさっぱり理解出来ない。
 この二人を前にしていると、俺が、凄い常識家のような気がしてくる。
 それで、あんなに悩んでた、俺って一体何なんだ?
 勿論、悩む、という行為自体が無駄になるとは思ってない。
 人間だから、悩んで当たり前なんだ。

 そうだよな。
 多分、静香も、静香なりに悩んで、晴彦も晴彦なりに悩んだはずだ。
 って言うか、そうでなきゃ、おかしいだろ?

「そうそう、晴彦くん。今度ね、隆弘、講師に昇進できそうなの。」
「なんか、おめでたいこと尽くしだね。」
「でしょでしょ? だから、いっぱいお祝いしなくちゃね。で、晴彦くん、何か欲しいものとかある?」
「ちょっと待て、俺のお祝いじゃないのか? 何で俺に聞かない。」
「ちゃんと、意見は聞くわよ。でも、隆弘の大切な晴彦くんの意見だって尊重したいじゃない?」
「それは、そうだが……。」

「俺さ、ずっとマンションだったし、実家にいたときも、親が、駄目って言ってたから叶わなかったんだけど、猫、飼ってみたい。」
「私は大丈夫よ。隆弘は?アレルギーとかある?」
「いや、ないけど。」
「朝とか夜は、私たち居るけど、昼間は、家空けるから、晴彦くんが、昼間、面倒を見てくれるんなら良いわよ。」
「本当? 嬉しい。作家でもさ、結構、いるんだよね、ペット飼ってる人って。」
「そういえばそうね。今度、ペットショップ見に行きましょう。」
「はい。」
「隆弘も行くでしょ?」
「え、ああ。」

 何か、すごく、この二人に振り回されている。
 駄目だ駄目だ、俺ももっと主体性を持たないと。

「……ありがとう。晴彦くん、隆弘。私の居場所を作ってくれて。本当に感謝してる。私が、家族を持てるなんて思っていなかったけど、隆弘が結婚してくれて、家族になってくれて嬉しかった。そして、私と隆弘の歪な結婚を晴彦くんが認めてくれて。」
 やっぱり、静香にも、不安がなかった訳じゃない。

 『人』と言う字は、二人が、凭れ掛かってできているんだというけれど、それが、二人きりである必要なんてないじゃない。
 それが、三人になったって。
 天秤に掛けたって仕方がない、どうしようもなく大切なもの達を、出来るだけ、失わずにいたいから。
 少しぐらい贅沢言ったって良いじゃない?

 これからだって、幸せな日々が、延々と続く訳じゃないと思うけど、努力して、それを引き伸ばす事だって出来るんだと思う。
 贅沢は敵なんかじゃない。
 もちろん味方でもないけど。
 でも、贅沢だってわかってて、それでも欲して、手に入れる事が出来たなら、それを大切に守っていきたい。

 世間は、どんな目で、俺達を見るんだろう。
 お互い、偽装だったはずの結婚の中にも、俺達なりの真実があって、それが、その本当のカタチを誰にも認められなくても、俺達の中では、真実であった。
 そして、作り上げた虚構を、世の中の真実に近づけるために仮面を被って生活をして、その虚構も真実も、全て受け入れて。

 始めはそんな二人だった俺と静香の間の中に、晴彦が入り込んできた。
 そして、また、別のカタチの真実を作り上げるだろう。
 この偽装の関係の中に。

 そして、世間が望むなら、その為の仮面をつけて振舞おう。
 例えどんな仮面を着けたって、俺達の城の中では、素顔が待っているから。

 仮面を着ける事を、窮屈な事だと思わず、人生のゲームの中の楽しみの一環だと思えば、少しは気が楽になるんじゃないだろうか。
 そしてその分、自然なカタチで、仮面を着けられるんじゃないだろうか。
 自ら望んで着ける仮面だから。

 俺達、3人の関係に歪が生まれるとしたらどんな時だろう。
 人の気持ちは移りゆくものだから。
 もしかしたら、今のカタチが変わってしまうかもしれない。
 でも、その時、新たなるカタチが生まれないとも限らない。
 人間という関係の中において、そのカタチは、一つきりではないから。

 そして、それに対応出来る位の人間でいたいと思う。
 柔軟なココロで、柔軟なカタチを。
 カタチとは呼べない代物かもしれないけれど、それだっていいじゃないか。

 俺が俺の人生を生きる限り。
 静香が静香の人生を生きる限り。
 晴彦が晴彦の人生を生きる限り。

 そして、それぞれの人生の中に、お互いが関わっていく限り。

「私の事は、同居人位に思ってくれてていいわよ。」

 そう言って、俺と晴彦を残して自分の部屋に入っていく静香。

「ねえ、隆弘、これも同棲って言うのかな?」
「さあ、どうなんだろう。」
「取り敢えずさ、俺の部屋、まだ片付いてないんだけど。」
「ん?」
「だからさ、隆弘の部屋に行ってもいいでしょ?」
「ああ、そうだな。」
「ふふ、これからずっと、一緒にいられるといいね。」
「こんなカタチになるとは思ってもみなかったよ。」
「でも、もう、始まっちゃったんだからさ、覚悟しないとね。」
「わかってる。」
「これから、もっと、いっぱいシようね。」
 苦笑せずにはいられない。
 ただ、わかっているのは、今は、幸せだという事と。
 そして、俺達は、俺達なりのカタチを探していけばいいという事。

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『偽装と真実の仮面-8-』

 誰かに、甘えちゃいけない。
 それが、自ら掘った穴ならば。
 それでも、甘えてしまいたくなる時もある。

「静香、ごめん、今日、飯、静香が作ってくれる?」
 晴彦と別れて家に帰った後、普段なら、日曜日は俺がご飯を作るのだけれど、とてもそんな気にはなれなかった。
「私はいいけど……文句は言わないでよ。たいした材料もないし。」
「大丈夫。静香が作ったもので、不味かったものなんてないから。」
「……彼と、何かあったの?」
「話したんだ。俺が結婚してる事。」
「そっか。」
 静香は、それ以上追及して来なかった。
 考えてみれば、俺には、静香がいて、帰る場所がある。
 けれど、晴彦は、一人、誰も待たない家に帰るのだ。
 こんなにも、晴彦に背負わせて。
 改めて俺の狡さを知った。

「そういえばさ、静香。」
「何?」
「神崎晴彦って小説家知ってる?」
「知ってるわよ。家にも本あるし。」
「あ、そうなの?」
「ええ。単行本も、文庫本も揃ってるわよ。確か、私達より、若い作家よ。本名で書いてるはず。少し前かしら、若手作家の進出が流行ったことがあって、その内の一人よ。」
「へえ、静香は昔から知ってたの?」
「ある文芸誌の新人賞を取ったのよ。『いつか晴天を信じて』っていう作品で。まだ、確か21かそこらだったんじゃないかしら。若いから、まだ文章の書き方に難がある、っていう意見もあったけど、それを押し切るだけの魅力がある作品よ。だから、受賞出来たのね。」

「へえ、面白い?」
「それは何とも言えないわ。例え、どんな大御所の作品だったとしても、人それぞれ好みがあると思うから。有名な賞をとった作品でも、私の好みとは違うものだってあるし。だから、本なんて一概に他人に面白いって勧められないわ。」
「でも、静香は、好きなんだろ? それだけ本を揃えてるんだから。」
「そうね。受賞作もそうだけど、やっぱり、作品には、その作家の感性が表れると思うの。私は、彼の感性が好き。文章力も、成長してきてるわ。」
「俺は知らなかったけど、有名なの?」
「有名性ねぇ。どうなのかしら。あまりそういうところは気にした事なかったから。ただ、作品を書き続けられているって事は、それだけ読んでくれる人がいるって事じゃない?」
「読んでみようかな。」
「どうぞ。本棚に、全部並んでるわ。」

 『いつか晴天を信じて』『果てない終焉』『いつか、ここで』『不如帰が鳴くとき』そして、多分、最新作なのだろう、『巻かれた螺子』。
 主な長編がそれだけと、短編集が何冊か並んでいた。
 俺は、その本を、古い順から、1冊ずつ手にとって読んでいった。

 晴彦と最後に会って、2週間が経とうと言う日、晴彦から連絡があった。
 『隆弘の家に行ってもいい?』
 簡単なメールだった。
 『日曜日、大丈夫?』
 『うん。奥さん、静香さんもいるの?』
 『ああ。それでもいいなら。』
 『良いよ。迎えに来てくれる?』
 『何時ごろ?』
 『朝10時。ダメ?』
 『わかった。○○駅の西改札口で。』
 『了解。』

 晴彦が、決断を下した。
 この2週間の間、どうやって過ごしていたんだろう。
 俺は、ただ待つ事しか出来なかった。
 例え、晴彦がどんな決断をくだしたとしても、受け入れる為に。

「静香。今度の日曜なんだけど。」
「何かあるの?」
「例の彼が、家に来る。」
「私、いない方がいいかしら?」
「いや、向こうはわかってるから。いてくれていい。それで、その彼なんだけど……。」
「何?」
「晴彦って言うんだ。神崎晴彦。」
「え?」

 ちょっと、と言うか、かなり、静香は驚いているようだった。
 実際、日曜日が来て、指定した待ち合わせ場所まで、車で迎えに行く。
 久し振りに会う晴彦は、いつも通りだった。

「久し振り。」
「うん。久し振り。家、すぐ近く?」
「ああ。本当の最寄り駅は隣の駅なんだけど、判りやすい方がいいと思って。」
「ふーん。俺の家、3つ隣の駅なんだ。」
「そういえば、読んだよ。晴彦の本。静香が全部持ってたんだ。」
「静香さん、俺の本読むんだ。」

 晴彦は、静香の事をどう思っているんだろうか。
 そして今、そんな俺の事をどう思っているんだろうか。
 当たり障りのない会話をしている内に、家に着いた。

「へえ、結構良い家に住んでるんだ。新しいし。」
「まだ1年半しか経ってないしな。」

 ただいま、そう言って、リビングへ晴彦を通す。
 静香も、リビングへやって来た。

「はじめまして。静香さん。」
「はじめまして。晴彦くん、でいいのかしら?」
「はい。」
「飲み物でも入れるわ。晴彦くん、何飲む?」
「コーヒーあります?」
「インスタントでいいのなら。」
「じゃあ、それで。砂糖とミルクもお願いします。」
「隆弘もそれでいい?」
「ああ。」

 静香が、キッチンへ向かい、晴彦と二人きりになる。
「綺麗な人ですね。」
「どうも。」
 なんか気まずい。

 すぐにコーヒーを3人分入れて静香が戻ってくる。
「晴彦くん。私がいてもいいのかしら?」
「ええ。静香さんとも話してみたかったし。」
「そう。ならいいわ。」
「静香さんは、知ってたんですよね。隆弘がゲイで、恋人がいるって事。」
「正確には違うわ。隆弘がゲイだってことは知ってたけど、結婚した当初は、恋人はいなかったから。」

「それでも、その可能性はわかっていた。実際、恋人は出来たんだし。」
「そうね。それは当たっているわ。」
「俺が、隆弘と別れる気はないって言ったらどうします?」
「晴彦くんは、私の事、隆弘からなんて聞いてるの?」
「大切な人だと。」
「そう。そうね。晴彦くんには残酷な事かもしれないけど、私にとっても隆弘は大切な人なの。」
「隆弘と静香さんを繋ぐものって何なんですか? 隆弘は、恋愛感情を持った事はないって言ってた。静香さんもそうだって。セックスもないって聞いた。だけど、パートナーでいられるんだって。」
「何かと問われても、明確な答えは出せないわ。言葉に出来ないから。」

 静香と晴彦が会話しているのを、俺はただ横で聞いていた。
 何も選べない俺。

「晴彦くん。お昼、食べていかない?」
「え?」
「日曜日は、隆弘が食事を作るから。」
「そうなんですか?」
「ええ。」
「じゃあ、隆弘、昼食お願いね。」

 そう言って、俺はキッチンへ追いやられた。

「晴彦くん。」
「何ですか?」
「結婚してた事、隆弘を責めないで欲しいの。この結婚を持ち掛けたのは私よ。別に隆弘はゲイである事を隠す為に結婚したんじゃないわ。確かに、ゲイである事はおおっぴらに出来ないかもしれないわ。でも、私は羨ましかったの。隆弘が。私は、誰にも恋愛感情が持てないから。例え同性同士でも、恋愛できる隆弘が。そして、貴方の事も羨ましいわ。」
「静香さんは、平気なんですか? 世間一般的にみれば、浮気をしてたのは、隆弘なんですよ。」
「言ったでしょ。私たちの間には、恋愛感情なんて存在しないって。そして、お互いが、その対象になることはないって。セックスに関しても同じよ。」

「だからって……。」
「友達がいたら、恋人を作っちゃいけないの? 友達は、恋人に妬いたりするのかしら? 私達は、友達よりはもう少し深い絆で結ばれているかもしれないけれど、そういう関係の夫婦なのよ。形式になんて囚われたくなかった。どんなカタチの夫婦がいたっていいじゃない? ……でも、結局は、晴彦くんを傷つける結果になってしまったのよね。」
「なんで、そんなにまで、他人の事を心配するんですか?」
「どうでもいい人の事なんて、心配したりしないわ。隆弘が、晴彦くんの事を恋人として大切に思っているから、そう思うのよ。」

「俺は、隆弘が好きだから、大切にしたいと思う。」
「それは、とても、健全な事ね。」
「でも、その隆弘が、静香さんの事を大切だと思うなら、それも傷付けたくない。」
「隆弘を、そして、晴彦くんを傷付けたのは私よ。」
「確かに、隆弘が結婚してると聞いて俺は騙されたと思った。傷付けられたと。実際、静香さんと話してると、そうじゃない気がしてくる。」
「そう言って貰えると、助かるわ。」

「静香さんは、形式に囚われていると言った。それでも、型どおりの形式には囚われたくないと。隆弘には、相手が出来たら、離婚する、って言ったんですよね? でも、そうしたら、静香さんは一生呪縛から逃れられないような気がする。」
「晴彦くん、そんな心配までしなくって良いのよ。」
「でも俺は、本当に隆弘の事が好きだから、その大切なものを壊したくない。」
「……」
「俺は、本当は、俺自身がどうしたいのかわからなかった。それでも、隆弘とはきちんと向き合わなければいけないと思って、今日、ここに来た。隆弘と、静香さんと話せば、何か答えが出る気がして。」
「答えは出たのかしら?」

「狡いですよね。相手に答えを求めるなんて。」
「そうね。でも、それしか出来ないから。」
「俺が出した答えが、どんな答えでも、受け入れるつもりなんですか?」
「なんか、ちょっと怖いわね。」
「俺も、世の中の常識を覆したいんです。」

 そうして、静香と晴彦の間で交わされた密約。

「準備、出来たぞ。」
「今行くわ。」

 3人で食卓に着く。
 隆弘らしい、工夫を凝らした、軽めのフレンチ。
「二人で何、話してたんだ?」
「隆弘には内緒。」
「何だよそれは。」
「ねえ、晴彦君。」
 静香がにっこり笑い、晴彦も、それに答える。
「何で、俺がのけ者になってるんだよ。」
「だからそれも内緒。」

 沈痛な面持ちでない事はわかる。

「ご馳走様、隆弘。愛してるよ。」

 そう言って、帰って行く晴彦。

 静香と晴彦との間で交わされた密約を知るのは、また2週間先になる。
 静香とは、それまでとは変わらない生活を送っていたし、晴彦からは、それまで、一向に連絡がなかった。

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『偽装と真実の仮面-7-』

「俺は、隆弘の事好きだけど、あいつは特別だから。あいつとの過去を消す事なんて考えられないし、忘れる事もないと思う。隆弘は、こんな俺の事許せない?」
「いや……」

 許されるべきではないのは、俺の方なのだ。
 ここまで正直に話してくれる、晴彦を俺は受け入れられる。
 けれど、晴彦が、俺の事を受け入れてくれるかは別の事なのだ。
 でも、話さなければ。

「晴彦。」
「何?」
「晴彦に、ずっと言えなかった事がある。いつかは話さなければいけないと思ってた。出来るだけ早い内に。」
「何? そんなに神妙な面持ちをしちゃって。あ、俺が、変な事言ったから? 気にしてるの? 何か。」
「いや、そうじゃない。寧ろ、晴彦が話してくれたから、今、俺が話す契機きっかけが出来たんだと思う。晴彦……俺、結婚してるんだ。」
「え? どういうこと? 隆弘ってバイなの?」
「違う。バイじゃない。ゲイだよ。だけど結婚してるんだ。」
「ゲイだってことを隠すため? 偽装結婚したの?」
「そう思われても仕方がないと思ってる。」
「それで? 隆弘はどうしたいの? 俺の事は、浮気って事? 奥さんにバレないうちに、別れようって言うの?」
「晴彦は、ゲイだってこと、カミングアウトしたことある?」
「話を摩り替えるの?」
「いや、違う。」
「ないよ。だって、別に誰に言う事でもないもん。別に卑下する事でもないけど、自慢する事でもないから。」

 晴彦の言う通りだと思う。
 俺も実際そう思ってきた。
 わざわざ、オンナが好きだって告白するノンケがいないように、オトコが好きだって、告白する必要なんてないって。

「俺は、一度だけ、カミングアウトした事がある。妻は知ってる。俺がゲイだって事。そして、今、俺にオトコの恋人がいるってことも。」
「奥さんは納得してるの? そんなことって……。」
「俺が、妻に、静香にカミングアウトしたのは、結婚する前の話だ。」
「奥さんは、隆弘がゲイだって知ってて結婚したの? 何でそんな事。」
「すまん。詳しくは言えない。これは俺だけじゃなくて、静香の問題でもあるから。俺と、静香の付き合いは長いんだ。勿論、恋人としてじゃない。大学時代に知り合って、将来目指しているものも似てたから、気が合って、良い友人としてずっと付き合ってきた。誰よりも近い位置にいたと思う。今も、同じ職場で働いているし。だから、唯一、自分がゲイだって事を打ち明ける気になったのかもしれない。」
「隆弘が言ったの? 結婚しようって。」
「いや。静香だ。でも、それを受け入れた、俺も俺だから同罪だ。」

「ゲイでも、結婚してる人がいない訳じゃないよね。俺……ウリしてた時期があるから、そういう人が、客になることもあった。女性と、セックス出来ない訳じゃないけど、それで満足出来ないもんね。」
「俺は、静香もだけど、お互いをセックスの対象としてみた事はないし、実際した事もない。ゲイだって認識してても、パートナーに恵まれる訳でもない。そういう風に長く付き合える相手に出会える確率だって高くはないし。」
「それはわかるよ。長く続くゲイパートナーが大勢いるわけじゃないって。」
「俺と静香を結ぶ絆は恋愛なんかじゃない。でも、パートナーとしてはやっていけると思ったんだ。だから結婚した。」
「恋愛結婚だけが全てじゃないのはわかってるよ。でも、隆弘は、ゲイなんでしょ?」
「ああ。俺は、肯定も否定もしなかったけど、静香は、もし俺が、そういう相手と出会えたら、離婚しよう、って始めに言ってた。」
「始めって、結婚する時から?」
「そう。」
「俺がしている事は狡い事だってわかってる。静香は俺に選ばせるつもりだ。そして俺は、晴彦に選ばせようとしている。ゲイなのに結婚するような男と、晴彦は、付き合えるのかどうか。」

 相手に選択肢を与えて選ばせるのは、狡い行為なのだ。
 勿論、受け入れる覚悟はいる。
 しかし、相手に決断を迫った時点で、自ら決断する事を放棄してしまっているのだから。
 静香は自分が狡い人間だと言った。
 それと同じように俺も狡い人間なのだ。

「隆弘は、自分から、奥さん、静香さんだっけ? とは、別れる、とは言ってくれないんだね。」
「俺が、今、愛してるのは晴彦だ。だけど、静香の事も大切なんだ。晴彦には、残酷な事を言っているのはわかってる。」
「そんな、『愛してる』って言葉を、信じろって言うの?」
「信じてくれなくても仕方がない。そういう行動をとったのは俺なんだから。」
「俺は、信じたいよ。俺も、隆弘を愛してるから。でも、愛してるって、言葉だけじゃ……。」

 そう言いかけて、晴彦は一旦言葉を区切った。

 言葉は、大切だけれども、それだけじゃあ、伝わらない事は沢山あって、だからと言って、セックスをすればわかり合える訳じゃなくって、根本的に自分が納得しなければ、どうにもなるものではない。

「わかってる。俺が最初に隆弘を誘ったんだ。隆弘が誘いに乗ってくれたから、今こうして付き合ってるんだって。隆弘と会うのは楽しいし、俺の知らないいろんな事を教えてくれるのが嬉しかった。」
「晴彦、お願いだから、自分を責めないで欲しい。晴彦に誘われて嬉しかったし、その誘いの手を取ったのは俺なんだから。」

 自分を責めなければ、相手を責めてしまう。
 それはどちらも辛い行為で、相手の事を思うからこそ、自分自身のことを責める晴彦の事が痛々しかった。
 俺が悪いと、責めてくれた方が、どんなに楽だっただろうか。

「隆弘は、俺と別れるつもり? そしてどうするの? また別のオトコを探すの?」
「晴彦、ちょっと待ってくれ。別れたいのは、お前の方じゃないのか?」
「俺は……俺は……。」
「悪い。俺が、決定的にお前を傷つけてるんだよな。ゲイなら、結婚すべきじゃない。もししたとしても、それなら、特定の相手を作るべきじゃない。セックスフレンドだと割り切れるくらいの付き合いしかしちゃいけないって。」
「隆弘はそんなこと割り切って付き合えるような人間じゃないだろ? だから、俺は、隆弘の事が好きになったんだし。」

 誰かを傷つけずに生きることは不可能だけど、こうも容易く、晴彦を傷つける事しか出来ないのか。
 俺は晴彦の為に何かしてやれたか?
 晴彦の事を『愛している』と言いながら、実際は何も出来ないではないか。
 『愛』だけが全てじゃない。
 それもわかっている。
 でも、『愛している』から、出来る何かがあるんじゃないのか?
 そう自問自答してみても、俺の中で、何かが出来るとは思えなかった。
 そして、そんな無力で浅はかな俺はどうすればいい?

「ごめん。晴彦。」

 俺は、ただ、謝る事しかできなかった。

「止めてよ、隆弘。隆弘まで傷付かないで。そんなのって、残酷すぎる。」
「でも、結果、残酷な事をしたのは俺だ。晴彦じゃない。晴彦は知らなかっただけだ。俺が言わなかったから。」
「正直すぎるよ。隆弘。このまま、ずっと言わなければ、わからなかったことじゃないの?」

 騙す事は、偽る事は、残酷なことだ。
 けれど、時には、真実ほど残酷な事はない。
 だからこそ、人は、仮面をつけ、その場その場に応じて自分を演じている。
 けれど、真剣に人と向き合おうとした時、どれほど残酷な事でも、打ち明けなければいけない事もある。
 勿論、俺には、ずっと晴彦に隠し続ける事は出来ただろう。
 もし、その道を選んでいたとしても、絶対的な誤りではない。

「ごめん。疲れた。今日はもう遅いし、寝てもいい?」
「あ、ああ。おやすみ。」
「おやすみ。」

 晴彦は、布団に包まり、寝ようとしていた。
 中々寝付けないようだったけれど、何とか寝息が聞こえてきて安心した。
 いつもは、指を絡めて眠るのだけれど、今日は、俺に背を向けて眠っていた。
 俺も、晴彦に背を向けて眠った。
 結局、まだ答えは出ていない。
 それを急かす気も、権利も俺にはなかった。

 俺は、それでも、静香と結婚した事は後悔していない。
 静香の事も責める気はない。
 俺が、選んできた事なのだから。

 晴彦に、決断を迫っておきながら、晴彦と別れたくない俺は、やはり甘過ぎるのだろう。
 だから、別れないでくれ、とは晴彦には言えない。
 言いたくても言ってはいけない言葉だから。

 翌朝、目が醒めると、晴彦は、まだ眠っていた。
 睡眠は、一時の休息に必要なものだ。
 だから、きちんと眠れている晴彦少しほっとした。

 それから、晴彦も目覚めて、昨夜あれだけ話してしまったから、お互い無言で朝食を摂った。
 そして、別れ際に、晴彦が、言った。
「隆弘、少し考える時間が欲しい。」
「わかった。」

 その時間が、どれだけの事になるのかはわからない。
 もしかしたら、二度と連絡が来ないかもしれない。
 それでも。
 俺は、今は待つ事しか出来ないから。
 今の俺に、出来るだけのことをしよう。

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